『安いと高い』

安い事は良い事だが、高い事も悪い事では無い。しかし、会話の上で『高い』は否定的に使われる事が多い気がする。

安さによって得られる満足も素晴らしいが。高いから当たり前という想像を超えた満足を得られれば、結果それは安いと同じもしくはそれを超えるものになるのではないだろうか?

私は今となっては肩身が狭い喫煙者でしかもヘビーというカテゴリーの人間だった。(最近は少し減った。)昔は、喫煙できないレストランでは正直、食事をしたくないので行かないという主義だったが、、、(今では禁煙が当たり前ですが。)やはり例外は生まれるもので、禁煙でも美味しいレストランならば、また行きたくなるのが事実なのである。食事中に、スゴスゴと外に出て煙草を吸えば良い訳である。。素晴らしく美味しいのだから、それすら出来ない人間なら来なければ良いのである!自分の想像を超えると面白いもので、それは完全に上下逆転、アベコベ人間の完成だ!!

つまり、同様に、高くてもその物に対し見出すユーザーの価値感が見合えば、それは逆に特別なステータスすら生み出すのである。高くて良い物を持っている!高くて美味いものを食っている!高いけど路面店でドアを開けてもらい、飲み物を飲みながら商品を選び、ドアの外まで見送りが来る。。

書いていて、、何だか人間の欲望は無限大で、、、恐ろしく感じるが、、、

安くて良いも素晴らしいが、高くて良いも、どちらも同様に素晴らしいと言いたいだけだったのである。

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