『自然は偉いのだ』

最近、ちょっと時間があると、自然を求めて、フラリと散歩してしまう自分がいる。

日常生活では、人間社会の枠の中を、生きている事しか感じられないが、、自然の中にいくと、何だか人間社会より、よっぽど、重要な『起源』や『生命の歴史』に触れている様な感覚になる。時に、その自然の持つ『圧倒的な生命力・存在感』は、私に日常、属する『人間社会』について、考えさせたりもする。

勿論。『現・人間社会』は『人類の進歩の歴史』であるのだが、進歩と共に、無駄な『シガラミ』を作り上げたのも事実だ。
『都市設計・開発・国作り』は、『現・人間社会』の『知識』や『技術』があれば、もっと『自然と共存できる開発』が出来るだろうし、現在、起きている多くの問題を解決することも出来るはずである。例えば『大都市に全てが、集中してしまうのを避けたり』都市開発計画に、『農地を組み込んだり』『必要な産業のバランスを考えたり』都市と都市を、バランス良く適切にインフラで繋ぎ『地価の格差を抑えたり』『より効率的な流通網を構築したり』『ワークライフバランスを考えたり』『地上、地下も含め、将来の拡張性を持ったり』より機能的な国づくりが、当たり前に出来るはずなのだ。
しかし、残念ながら『人類の進歩の歴史』の中で、共に作り上げられた『シガラミ』から、本来の進歩に辿り着くことは、出来ないのが、事実なのである。人類が進歩する過程で、、人間の目標は細分化され、利益を追求する様になった。『通貨が生まれ。』『モノに価値が生まれ。』折角だから、他人よりも頭を使い、競争し、利益を得て、他人よりも、良い生活を手に入れたくなっただけで、ごく『自然発生的現象』ではあるのだが、、それは、、人類である前に、人間、、それぞれの、個が、その小さな、生活を守る為に『自分勝手な意思』を持つ様になった、という解釈も出来る。
自然とのバランスも、、、農地とのバランスも、、この国も、、何でも、、もっと良く出来るはずなのだが、、残念ながら、我々は、、『現・人間社会』で『日々、生きる事に精一杯。』『自分の人生を楽しむのに、精一杯。』『会社で働くので、精一杯。』『会社に利益を出すので、精一杯。』『政治のニュース見て、ボヤくので、精一杯。』『家族の為に働く事で、精一杯。』『溢れる情報に、ついて行くので、精一杯。』『毎日通勤するので、精一杯。』なのである。

つまり、極端に言えば、人類の最先端技術を使う権利が、生み出した人類には帰属していない時代なのである。

政治とは、何の為にあるのだろうか?国とは何の為にあるのだろうか?世界とは、競争する為にあるのだろうか?全ては、お金なのだろうか?

人間は、偉くなったものである。

なーんて事を、、、考えさせる『自然』は、、、人間なんかより、、『もっと偉いに、決まっている!』

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