『見方』

世の中、自分の思う事が、正しい訳では無い。何のネゴシエーションも無しに、
それに関わる相手や、人々の思いが『一緒』という方が、、奇跡的な事に思える。
現実に起こる問題に対し、同じ基礎情報を元に、それぞれが思考を巡らせて、意見を出しても、、多くは、考える側の人間の経験背景によって、当初の基礎情報では、見えない前提条件を、自然に想定するという+αの作業が加わり、、それぞれの意見が異なるモノに変化していくのだ。

相手の事を、一生懸命に考えて、意見を言っても、、受け入れられない事は良くあると思う。それは、基礎前提条件の違いや、想定する時間軸の違い、、つまり、そもそも、相手を理解していないのだ。

例えば、、日売り35万円を、どう考えるか?
低いと考える人間もいれば、高いと考える人間もいる。そう、単純に考えても、、色々な基礎前提条件が必要で、、それが平日か?土・日・祝日か?月予算は?年間予算は?商品の平均価格は?売上げの構成内容は?その店の総在庫金額は?同立地条件での、他店売上げは?店舗は、運営何年目か?従業員の人数・人件費は?そして、家賃は?光熱費は?つまり、その店の損益計算を気にしたり、、はたまた、、現状売上げと、過去・未来想定の比較の為、売上げ構成と購買客層の内容分析、、従業員の個人売り内容を分析したり、、在庫の回転率を考えたり、、そもそも、店舗外コストの何パーセントを、その店に負担させる想定なのか?そして、会社に於ける、そのお店の貢献比率は?会社自体の総在庫の消化率は?原価率は?粗利は?などと、挙げだすとキリが無い。。この様に、どこまで、何を気にするか?!そう、、
考える側の人間の経験背景に於ける、思考の基礎前提条件が違えば、、当たり前に『見解』は変わってくるのである。

そう考えると、何事も『思い』や『考え』が、違うのは当たり前であり、、それを埋める『コミュニケーション』や『思いやり』が、本当に大事になる。

誰しも、自分自身に、見えている事は、ちっぽけで、、自分の『見方』が、例え『正解』でも、、『全て』では無いのだ。。
出来る限り、、周りを見渡して、多くの考え方を吸収し、最善の『考え』を見つけなければいけない、、

そう、何事も『見方』を変えると、、面白い。

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