『終わり良ければ、、』
『終わり良ければ、全て良し』とは、よく言ったモノで、、本当にそうだとも思う。
残酷にも、区切りのタイミングで結果が出せないと、人は皆、冷たいもので、、それまで一緒に、同じ考えの様なスタンスでいたはずなのに、、周りから状況を責められ出すと、アッサリ、自身の責任を転換し、シレッと、責める側の背後へ、隠れる様にまわる人が多い。『私は、指示に従っていただけ、責任を取るべき人間は上司だ。』
まぁ、『ハラキリ』の文化が無い現在、自分の防壁である、上司を『取っ替え引っ替え』する事は、非常に合理的であるのだが、やはり、ナカナカ、、ゲスな人間模様である。
『終わり良くなくとも、共に歩んで、勉強になったことは無いのか?!』
『終わり良くなくとも、お前なんかより、よっぽど、骨のある奴だったんじゃ無いのか?!』
そんな事を考え出すと、挑戦より、引き際を考えてしまうものだ、、まぁ、私は、そこも合理的に考え、以前の会社では、最後の3年間は、『完璧な引き際の為の挑戦』をしていたのだが、、
私は、毎年、毎年の、終わらない、積み上げ続けるべく業績への挑戦に怯え、、勝ち逃げの絵をサッと描いた弱虫だ。
『終わり良ければ、全て良し』なので、勿論、誰にも責められないが、、(あっ、勿論、仲間には怒られたさ。。)その、毎年の勝負を積み重ね、時に敗れて去る、勇気ある人達を、私は、、簡単には否定できない。一途なその姿勢は、周りからは、アホみたいに思われるかもしれないが、『想像する結果』だけを信じ、純粋に、挑戦し続ける勇気は、常に尊敬に値するのだ。
『終わり良ければ全て良し』なのだろうか、、終わるモンは簡単だろ、、
『転んでも立ち上がり続ける強い意志』を持って、やり続ける方が、ずっと難しいのだよ、、
良く考えてみてくれ、、終わり良くとも、、全て良いわけが無いだろ、、
もっと正しいモノを、私が、考えてやろう、、
『終わり良ければ、拗ねてよし!』
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