『自分の意見』
世の中には、自分の意見を言わない人が多い。
実際には、何らかの『意見』があっても、ソレがその場において適切な発言なのかどうかが『解らない』ので、発言を避ける。時に、それは結果として『解らない』という『回答』と同じで『意見がない』と見なされる。
自信がない、、意見を言って周りの誤解・誤認を招くのが怖い・面倒だ、、会話している特定の人達の中では、フォロワーに属しリーダー達の議論の答えを待つのが常で、自分では考えた事も無く、皆目、思考の糸口すら見つけられない、、いや、そもそも、答えなければいけないという意識すら生まれてはいない。。
そんなヤツに何が出来るのだろうか?
解らないなら、トコトン考えれば良いだけの話。
もし、仮に、多くが自分の考えを言えない・言わない社会だとしたのなら、それは、残念な事に、最早、人間が作るべく『コミュニティ』には満たない、つまり、属する人々が互いに『尊重』と『責任』を持たない『コミュニティ』ということになり、、上辺だけで中身は空っぽ。。
正に、現代平等社会の『進歩』の『過程』で、生み出された『歪み』ソノモノで、残念にも、行き過ぎた社会協調性論に支配され、見えないヒエラルキーの中、何処に自分が属して映るのかという漠然とした不安・恐怖に支配されるという『貧相な現実』に、もがく事になってしまう、、
私は、私以下でも無いし、私以上でも無い。
臆病になる程の、価値のある人生を歩いているわけでもない。
だから、、『答え』の正誤など気にせず、、
自分の『思い』を『素直』に言ってみたら良いと思うのだが、、
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